2015.05.08お知らせ
七里の渡し・伊勢国一の鳥居建て替え奉祝祭
七里の渡し・伊勢国一の鳥居建て替え行事
伊勢国東の玄関口、桑名七里の渡し場跡にある鳥居は、式年遷宮ごとに伊勢神宮宇治橋の鳥居を移して建て替えています。今年は20 年に1度、建て替えの年にあたります。
鳥居の建て替えの行事として、伊勢神宮の式年遷宮でのお木曳やお白石持行事で使用している伊勢神宮の一番大きい奉曳車(ほうえいしゃ)をお借りして、桑名市民会館から七里の渡し場跡までの約 1.8kmを、2本の綱(200m)で奉曳します。
桑名ならではの石取祭車と八幡神社獅子舞が先導する、総勢2,000 人規模で行われるお木曳です。
七里の渡し・伊勢国一の鳥居建て替え奉祝祭(お木曳行事)
七里の渡しはいつできたの?
慶長6(1601)年に、徳川家康により江戸と京都を結ぶ東海道が制定され、桑名宿と宮宿(名古屋市熱田区)の間は東海道唯一の海路として結ばれました。熱田・宮の渡しから桑名まで海上七里あったため「七里の渡し」と呼ばれています。
七里の渡し場跡に鳥居が建てられたのは、天明年間(1781~1789 年)と考えられています。鳥居は、桑名の商人の矢田甚右衛門と大塚与六郎が発起人となり、関東地方を廻って寄付を集めて建立されました。
当初は、東海道を跨ぐように、道路上に建っていたと伝わっています。また、七里の渡し場跡にある鳥居は「伊勢国一の鳥居」と呼ばれています。これは、東国から来た旅人たちにとって、七里の渡しから桑名に着くと、この鳥居をくぐって伊勢国に入る、東の玄関口にあたるからです。
七里の渡し場跡の鳥居
伊勢国一の鳥居は、20年に一度の式年遷宮ごとに建て替えられる伊勢神宮宇治橋外側の大鳥居を貰い受けて建て替えられます。この宇治橋外側の大鳥居は外宮正殿の棟持柱として用いられていた御用材で由緒あるものです。
ちなみに宇治橋内側の鳥居は、内宮正殿の棟持柱として使用されていたのもので、関宿東追分の鳥居の建て替えに用いられます。