摂末社・境内マップ
摂末社
皇大神宮御分霊社
御祭神
天照大御神
御神徳
国家安泰・衣食住 産業の繁栄
抑も当社は、明治の初年当地北魚町に融通会所という庶民の金融機関あり。その社員一同は神宮崇敬の念殊に篤く、相謀りて御供講と称うる奉祀の会を結成し、神宮司庁に願いでて、その頃例の尠きを特に許されて、天照大御神の御分霊を勧請し奉り、春日神社境内の吉方乾の角に浄域と卜し、荘厳なる新殿をしつらえ、明治9年(1876年)11月19日御鎮座の式を挙げたる社にして、皇大神宮御分霊社と号し、通俗みたま様と申し上げ奉る。爾来、御供講の母体の融通会所は、桑名銀行と改められ、後又百五銀行桑名支店と遷り変りても、御供講創始者の子孫と共に、年々11月19日を例祭日として、祭祀を続く。
桑名東照宮
御祭神
徳川家康公
御神徳
勝負・美容・良縁成就
元和3年(1617年)に千姫により、東照宮を勧請し境内社として祀る。その社は元禄14年2月に焼失し、以後明治初年までは神宮寺に祀られていたが、再び境内社として祀る。
桑名東照宮の逸話
千姫は徳川幕府第二代将軍秀忠の長女であり、世間を騒がせるほど美しかったとされる。慶長20年(1615年)に大阪夏の陣により豊臣家より奪還され江戸に向かう途中、桑名城主・本多忠政の息子・忠刻が千姫一行をもてなし、七里の渡しの船渡しを請け負うこととなるが、忠刻もまた眉目秀麗で誰もが振り返る美男子であり、武術のも長けた青年であったとされ、千姫は忠刻に一目惚れをする。千姫は江戸に着くと直ぐに祖父の家康の許しを貰い、翌年に忠刻と結婚する。千姫の嫁入り直前に家康は帰幽するが、桑名の地で出会い、成就させた千姫は家康にまつわる神宝を神社へ奉納し、感謝の意を込めて東照宮を建立する。千姫と忠刻が桑名で過ごすのは、姫路城へ移るまでのわずか一年ではあったが、ひと時の幸せな時間を過ごしたとされる。
春日稲荷神社
御祭神
倉稲魂命
御神徳
商売繁盛・五穀豊穣・家内安全
当社は文政8年(1825年)に山城国紀伊郡稲荷神社(現・伏見稲荷大社)より御分霊を勧請し、今日に至るまで桑名市民の篤き信仰を捧げてきた神社である。明治の末より大正の初めにかけて市内各町々に旧来より御鎮座する稲荷神社を同じ社殿に合祀せられ、御神霊も多く信者も広く、あらゆる階級職業の人に崇敬される神社である。
母山神社
御祭神
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波母山神
大己貴神
少彦名神
神皇産霊神
須佐之男命
日本武命
宮簣媛命
御神徳
安産・子孫繁栄・家内安全
古くより職人町産土神として当社に鎮座し、御祭神 波母山神は一に女性器の神格化とも云われる。神社名に「母」という文字が付くことから子宝を願う者、妊婦や子持ちの者の願いを成就するとされる。明治末期に内務省より神社合祀政策が行われ、桑名街区各地にあった多数の神社が合祀された。以来、毎年五月に合祀社祭が斎行されている。